Thursday, February 16, 2017

高山右近 「私は恐れない!」


戦国時代の頃ですが、高山右近は、敬虔なクリスチャン大名高山友照の跡継ぎとして生まれました。右近も、洗礼を受け、ユストというクリスチャン名をもらいました。でも、少年時代の洗礼を受けた頃は、全然熱心な信者ではなかったのです。しかし、21歳の時、大きく変わるのです。兄弟のようで、主君でもあった和田惟長(わだ・これなが)と斬り合いになり、自分の手で殺してしまうのです。親友を殺したことを後悔した右近は、幼いころ聞いていた信仰、また「敵を愛せよ」を語るキリストの真理に改めて耳を傾けました。

後、右近は、大事件にあうのです。生ける神と信仰に対する姿勢を全く変えるのです。仕えていた荒木村重(むらしげ)が織田信長を裏切るのです。それで、信長の大軍勢に高槻城を包囲されてしまいます。右近は、村重を説得しようとします。が、無駄です。しかも、村重に息子を人質として取られているのです。信長からは降伏しなければ領民を殺すと脅されているのです。進めないし、退けないし、どうしようもないのです。城の中にいた父友照は、徹底抗戦を訴えていて、他は、城を引き渡すことを求めるのです。意見は、真っ二つとなっていました。その時、右近が選んだのは並みの武将には真似できない大胆な決断でした。右近は、オルガンティノ神父に聞きました。神父はこう答えました。「信長に味方するのが正しいことだと思います。村重は信長に仕える身分であり、これまで受けた信長からの恩に返して、戦いを挑むことは不正なことです。あなたは村重に直接仕える家臣ですが、あなたに高槻を与えたのは村重ではなく、信長です。より上におられるお方に忠誠を尽くした方が正しいことと思います。しかし、これは重大なことですから、深く祈ってから決断して下さい。」悩んだ右近は、いっさいの地位も財産も捨てて、教会と皆を守る為に、信長のもとに行くことを決断しました。信長に領地を返すことを決めたのです。丸腰で城を出て、信長の前に出て行きました。奇跡的に、村重は、城に残された右近の家族、家臣、人質を殺すことはしなかったのです。右近の勇気を認めて信長は、再び右近を高槻城主としての地位を帰し、その上に2万石から4万石に増やしたのです。ここで、右近は、神の御業を認め、恐れるものは無いことを確信、人生を進みました。聖書・詩編3:6後半「私は恐れない。」彼は、神に劇的に守られたのです。

キリスト教は「高山の宗門」と呼ばれるほど大胆に仲間の武将に福音を広めました。後、突然、秀吉は、宣教師に日本征服の意図を疑ったのです。宣教師追放令を命令し、右近にも、信仰を捨てるように迫りました。恐れる事なく、右近は、命令を拒みました。「たとえ全世界を与えられることがあっても、キリスト教を捨てることはありません。人間に関わることは変えることが出来ても、神のこと、またその教えに関わること一点たりとも変えることは出来ません。」彼は、領地を没収され、放浪の旅に追いやられました。右近は、言いました。「これらわたしの行くところに、神がおられないところなど一つとしてありません。」追い打ちをかけるように仲間の武将が次々キリストを捨てました。が、彼は、ひるみませんでした。不思議に、行くあてがない右近を救ったのは、前右近を裏切り、キリストに背を向けた仲間たちでした。

右近は、最後フィリピンへの国外に追放されますが、最後まで勇敢にキリストに従いました。モレホン神父は、こう書きました。「神は、私たちの(愛するユスト右近)を死の前から、どんなときにも動じることのないみごとな信仰を見せて下さいました。。。そして彼は、自分の死を迎えるとき、。。。『神の教えに従い信仰を大切にして生きるように』と、家族に遺言しました。」


詩篇3編を読んで下さい。

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